ただ書きたいものを書いても売れない
電子書籍を売った経験のある作家なら特に、一度は「渾身の作品が笑えるくらい売れない」なんていう事態に遭遇した事があるでしょう。
書籍の販売数がある程度運に左右されるにしても、読者がどんな作品を書いたら喜ぶのかは常に考えておかねばいけません。
よく書き手が「この部分は泣きながら書いた」とか発言したりしますよね。
まあ、私も同じ事を言った事はあるんですけど。
最近になって「読者ってやっぱりシビアだな」と思った事は、私達がどれだけ執筆中に泣こうが、苦しみのた打ち回ろうが、読み手にとっては作者の思い入れなんてどうでもいいという事ですね。
読者にとって大事なのは?
読者には作者が苦しみながら書いている過程は見えないので、当たり前と言えば当たり前なのですが、それでも泣きながら書いた部分を「だから何だ?」とバッサリやられてしまうとなかなかキツいものがありますよね。
まあ、厳しい事を言うと、この場合は読者が正しいんですよ。
こちらがウンウン唸って書いた作品でも、読者が号泣しなければ表現者としては失敗してしまった事になります。
逆に耳クソを小指でほじりながら鼻歌交じりで書いたシーンでも、読者が泣いたら作者の勝ちなわけです。
心情的には納得いかないかもしれませんが、読者にとって大事なのはその作品を読んだ瞬間が楽しめるかどうかしかありません。
正直なところ、書いていて「後々ブーメラン発言になるんじゃないか」と戦々恐々していますが、それを差っ引いてもこのファクターにはちゃんと触れておかないといけません。
おそらくですが、本当に自分の書きたいようにしか書かない作家は、単純に運に恵まれているか、よっぽどの才能の持ち主でない限り失敗してしまうでしょう。
そこには観客の視点が不足しているからです。
読者を満足させるためには?
よく考えてみて下さい。
読者は何のために本を買うのでしょうか?
貧しい作家を救うためでしょうか?
読者は本を通して何らかの娯楽を堪能したいからお金を払うわけです。
それはスカッとするアクションかもしれないし、ホラーかもしれません。
読者が私達に求めるものは人それぞれとして、何らかの形でエンターテイメントを提供しないといけないのはやはり間違いないのです。
そう考えると、ただ自分の書きたいものを書くだけでなく、「こうしたら喜んでくれるんじゃないか」とか「この展開なら読者は驚くだろう」なんていう視点が必要になってくるわけです。
別に読者に媚びろというわけではありません。
あえて言うならば、作者の意図――或いは、ワガママ――と読者が求めるエンタメとの最大公約点を探せという事です。
何度も言いますが、自分の思いばっかりを追い求めていたら、読者に届かなかったりウザがられたりするわけで、彼らが心地よく受け入れられるポイントを上手く見つけられるかどうかが、売れっ子への道筋に繋がっているわけです。
ちなみにそれを自覚する前の私は、ほとんどの読者が拾えないであろう聖書のパロディーを作品に盛り込んだりしていましたが、いまだに誰一人拾えていない上に、これから誰かが汲み取ってくれる気配もありません。
非常に残念なケースですが、読者は私達の作品にさして深遠さを求めていないようです。
市場で受け入れられている作品は?
そうなると、やっぱり大衆小説的な方向に舵を切っていく事になるわけですね。
実際に市場で受け入れられている作品はそういう作風が多い気がします。
当然の事ですが、どんな方向性の作品なら売れるのかを考えるのであれば、売れている作品に目を通すほかありません。
そういうわけで、色んな作家の作品にアンテナを張っておくといいですね。
「小説の教科書」と絶賛されました。
だまされたと思って一読してみて下さい。
動画投稿者様

電子書籍界隈を中心に活動するインディーズ作家で元プロボクサー。リングでボコボコにされている内に、拳で闘うよりもペンで闘う方が向いている事に気付き作家に転身。無駄な体力をフル活用しつつ、自由かつ斬新な小説を模索している。