短編小説の作品集
「ここに収められた文章を小説と呼ぶことについて、僕にはいささかの抵抗がある。」
作者である村上春樹は”はじめに”の部分でこのように述べる。
「もっとはっきり言えば、これは正確な意味での小説ではない。」
『回転木馬のデッドヒート』は短編小説の作品集だ。
スケッチのような文章
これらの作品群を″スケッチのような文章”と呼んでいる。
というのも、これらの作品は、ほとんど作者が人から聞いた話をそのまま文章にしているというのだ。
言ってみれば文字による写生といったところだろうか。
写実的でありながら鮮やかな物語が綴られており、読後には一種の画廊を見て回ったような気にさえなる。
平凡な人の平凡な話に面白味を
しかしながら小説家である作者は、なぜ小説ではなく″スケッチのような文章″を描くことになったのだろうか?
“はじめに”の部分でその経緯が明らかにされている。
作者は自分の生活の一部分を題材に小説を書くが、他人が喋り、作者が聞いた話はどこにも放出されることなく溜まっていく。
小説の題材を選ぶ過程で零れ落ちてしまう要素は必ず存在するのだ。
そして、そのような話は放出されるべき場所を求めているのだと言う。
「彼らは語られたがっていたのだ。そして僕はそれを感じたのだ」
特殊な人の特殊な話ではなく、平凡な人の平凡な話に作者は面白味を見出していく。
人生という回転木馬
様々な人生の挿話を書き終えたところで、作者は人生に対して一つのイメージを抱くようになる。
そこに潜むのは「我々はどこにも行けない」という無力感だ。
作者は人生を回転木馬になぞらえる。
人々は降りることも乗り換えることもなく、ただひたすら定まった場所を定まった速度で巡回している。
しかし無力感に打ちひしがれることはなく、回転木馬は仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているのだ。
現代の奇妙な空間、都市。
そこに暮らす人々の群像がこの作品群には描かれている。
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